話題の映画「国宝」を観てきました。
あらすじ
舞台は、戦後から高度経済成長期の日本。任侠の一門に生まれ、この世ならざる美しい顔をもつ喜久雄(吉沢亮)は、抗争によって父を亡くした後、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎に引き取られ、歌舞伎の世界へ飛び込む。そこで、半二郎の実の息子として、生まれながらに将来を約束された御曹司・俊介(横浜流星)と出会い、ライバルとして互いを高め合うなかで、喜久雄は「血筋」、俊介は「才能」を渇望し、愛憎が入り乱れていく。
感想
3時間の映画ということで、尿意を恐れながら席に着きましたが、時間を忘れるほど没頭してしまいました。
まず、主役吉沢亮の顔面が美しさが目を引きますが、歌舞伎の動きや表情、表現力が凄すぎます。
一体どのくらい練習すれば、未経験者からここまで人の心を動かす動きができるのかと感動しました。
ストーリーですが、喜久雄(吉沢亮)は「血筋」、俊介(横浜流星)は「才能」という、お互いに手に入らないものを渇望するせいで何度も苦悩し人生を狂わせていく様が残酷に、また美しく描かれています。
人間は配られたカードで勝負するしかないのですが、そう簡単に割り切れませんね。
華やかに見える歌舞伎の世界と、憎悪・嫉妬のようなドロドロとした感情の対比が印象的です。
印象に残ったシーン
喜久雄が神社で手を合わす。
喜久雄の娘が、何を神様と話しているのかと聞くと、喜久雄は「神様と話してたんとちゃうで。悪魔と取引してたんや。」と言う。
全てを捨ててでも、日本一の歌舞伎役者になりたいという願いを聞いた際の娘の顔が非常に印象に残っている。
まるで芸に取りつかれた化け物のような、人間の心を失ったかのような目には、背筋がぞわっとする感覚を覚えた。
その後、奥さんや娘を捨てて芸だけに打ち込んだ喜久雄は人間国宝になるのですが、
何かを極めた人というのは、大小の差はあれ、こういった何かを捨てている人間なのかもしれないですね。